ほげほげけびんの日記

日々の出来事や感じたこと、考えたことを綴っています。

城内坂ロードレース

栃木県益子町で3月12日に城内坂ロードレースが開催された。

ロードレースといっても、ロードバイクではなく、脚で走るマラソンの方だ。

私は参加していないが、ロードバイクで走っていたら、途中でランナーたちに混じることになってしまった。

登坂路がコースに入っていたので、変わったレースだな、と思って調べてみた。

 

公式ウェブサイトはこちらにある。

https://sites.google.com/site/jyounaizaka/kiuchi-zaka-urutora-marason-taikai

 

今回で第39回という、歴史あるレースだ。

 コースは、標高差が240mある高舘山を越える一周10km。

スタートとゴールは違うが、どちらも益子焼の店が並ぶ場内坂にあり、非常に近い。

今回は、153名が参加したという。

この山を上るところで、私はランナーたちと鉢合わせしてしまったわけだ。

 

公式サイトで参加者のタイムが公開されている。

トップのタイムは、男子が36分台、女子が45分台。

すごい…

ちなみに、ランナーの中には、明らかに70歳を超えているように見えるおばあちゃんもいた。

もっとすごい…

 

このレースもすごいな、と思ったのだが、同じ主催者の城内坂ウルトラマラソンというのもある。

こちらは、ロードレースと同じ周回コースを走るのだが、総距離が50km、70km、100kmの3種類と、ハンパない。

残念ながら、このウルトラマラソンは2022年をもって終了した。

コロナ禍で3年間開催されていなかったため、最後の開催は2019年。

このときは、271名が参加したという。

 

コロナ禍で、開催しようにも、思うように活動できない。

開催組織のメンバーの高齢化も進み、大会の準備も大変になる一方。

このような状況の中、ギリギリまで開催する努力を継続した関係者に敬意を表したい。

 

 

 

ロードバイクで益子(道の駅ましこ〜益子小学校〜高館山〜道の駅ましこ)

獅子頭ライド2023まで1週間ということもあり、外を走ってきた。

脚を痛めるとまずいので、軽めの内容。

脚に上りの刺激を与えたかったので、益子の高館山に行った。

 

当日朝のYahoo天気予報では、晴れ、最高気温18℃、北の風→南の風、風速は1m→2m。

自転車日和だと判断し、服装は1週間前と同じにした。

夏用ジャージに防風長T、アームウォーマー。

 

道の駅ましこを横目に順調に進む。

県道41号線を北に折れ、しばらく直進する。

真岡鐵道と合流する少し前に右折し、坂をうねうね上り、益子小学校に到着。

ここで少し休憩した。

ここは、週末は車が滅多に通らなくて静か。

遠くを見渡すこともできて、気持ちいい。

 

ここから東側へ下り、県道262号線へと向かう。

この県道を南へ辿っていくと、そのまま高館山を上ることになる。

県道262号線が遠くに見えたとき、この県道に人がやたら大勢いるのが目に入った。

いつもなら、まず人ひとり目にしない道なんだけどな…

そう思いながら、262号線に入って進むと、理由がわかった。

ラソンだった。

 

ラソンなら、まさか山なんか登らないだろう。

そう思って高館山への上りに入ろうとすると、みんな上りの道に入っていく。

道の先を見ると、延々とランナーが続いている。

街中のマラソンで山登り???

 

こっちもこの山目当てで来たので、いまさらコースを変えるわけにもいかない。

そこで、ランナーたちと一緒に山を上ることにした。

道幅は充分あるので、ランナーと接触する心配はない。

ただ、ランナーからしたら、一緒に自転車が走っているのは奇異に見えたんじゃないだろうか。

 

みんなゼイゼイしながら上っていて、非常にしんどそうだ。

こっちもゼイゼイしながら上っているのはまったく同じ。

しかし、大きく違う点がある。

ラソンは、走るのが疲れたら、ゆっくり歩くことができる。そこに大きな差は無いように感じる。

しかし、自転車は、ある程度スピードを落とすと、倒れてしまう。

すると、足を地面に着くことになるが、個人的には、これは坂に敗北したことを意味する。

したがって、倒れない程度のスピードは意地でも維持しなければならない。

まあ、つまらないプライドだと言われれば、それまでだけど…

 

そんな意地を張っているうちに、無事に展望台に着いた。

ランナーたちは、そのまま走り去っていく。

彼らには悪いが、こちらはここで休ませてもらった。

いつ来ても、空いてていい。

景色も、程よく見通せてちょうどよかった。

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心なしか、前回よりもハイペースで上ってきた感じがした。

手段は違うものの、頑張って走る仲間が周りに大勢いたせいかもしれない。

仲間がいる、というのは、見えない力になるんだな、と感じた。

出張に行ったら、同行者がふたりとも結石経験者で驚いた話


昨日、習志野市へ出張に行ってきた。

同行者がふたりいたのだが、ふたりとも結石経験者だった。

そのことを聞いた時はとても驚いたので、経緯を書いてみる。

 

仕事を終えたあと、三人でファミレスに入った。

複数人での出張でよくあることだが、仕事が終わったあと、現地解散する前に、ちょっとお茶でも飲んでいこう、となることがよくある。

この日もお茶を飲んでいこう、ということになった。

 

年齢は、私が約50、同行者Aが40代なかば、同行者Bが50代なかば。

雑談していると、Bは最近、趣味のサッカーをしていないという。

理由を聞くと、冬で寒いこともあるが、結石が進行中で、それどころではないという。

一時は、腰の背中側の激痛で、動くこともままならなかったらしい。

まあ、年をとると結石になる人が増える、とはよく聞く。

Bもそのひとりになったのだな、と思った。

 

それを聞いていたAが、結石の経験者だと言い出した。

やはり、激痛でろくに動けなかったという。

えっ、あんたも?

もしかして、世の中、結石経験者だらけなのか?

自分もそのうち症状がでるのかも、と、急に心配になってきた。

 

ふたりとも、結石を破壊するような治療はしなかったという。

私は、結石はすぐに破壊して、尿で出すものだと思っていた。

ところが、痛み止めを飲んで、できるだけ自然に出すのだという。

ふたりの話を聞いていると、なんかゾワゾワしてきた。

 

あとで、九段坂病院のサイトで結石のことを調べた。

すると、男は7人に1人が、一生に一度は罹患する、とある。

今回は、3人中2人だから、かなり罹患率高いな…

ついでに、肥満度と結石の原因物質の尿中濃度に相関が認められている、とある。

これは初めて知った。

原因は水分摂取量の少なさだけじゃなかったのね…

 

今回もそうだったのだが、年をとると、不健康が自慢話になることが多くなる。

会社の健康診断の結果が出たときが、特にそうだ。

健康でなにも指摘されていないと、自慢にならない。

逆に、要精密検査項目が多いと、自慢できる。

そんな雰囲気がある。

 

一見不思議だが、よく考えると、これは当然のことだと思う。

だれも、どうやって健康を維持しているか、なんてことは聞きたがらない。

健康を維持する方法なんて、誰でも知っている。

ただ、食事制限や運動など、どれもつまらない内容だし、だれもやっていないから、盛り上がらない。

 

逆のパターンではどうか。

ある人が通風になったとする。

すると、周りの通風経験者は、上から目線で、おまえもとうとう経験したのか、どうだった?

なんて感じで、急に距離が縮んだかのように話し出す。

未経験者は、将来自分が通風になるかもしれないので、どのような症状が出るのか、など、興味津々でいろいろ聞く。

通風になることは、まったく良いことではないのに、その通風になった人は、すごく嬉しそうに体験談を自慢する。

 

私は食事にも運動にも気を使って、健康を維持するよう、気をつけている。

こっちの方がいろいろ努力していると思うんだけど…

もう少し、健康を堂々と自慢できる雰囲気になるといいな、と思う。

ロードバイクで筑波山(岩瀬〜不動峠〜風返峠〜筑波山神社〜岩瀬)

2週間後に控えた獅子頭ライド2023の練習をしに、筑波山を上ってきた。

今回は、岩瀬駅がスタート&ゴール。

獲得標高はだいぶ足りないが、不動峠を西側から上り、風返峠から西側へ下るコースにした。

 

当日朝のYahoo天気予報では、晴れ、最高気温12℃、北の風、風速は1m。

自転車日和だと判断し、服装は2週間前と同じにした。

夏用ジャージに防風長T、アームウォーマー。

 

岩瀬駅に着く。

なんだか風が強いような…

しかも冷たい…

でも、予報通り、すぐに収まるだろう。

気温もすぐに上がるさ。

そう思い、スタートした。

 

冷たい向かい風が吹き続ける。

北の風のはずなんだけど…

風も結構強いんだけど…

いや、予報通り、風はすぐに収まって、気温も上がるさ。

身体もそのうちあたたまるし。

 

真壁休憩所に着く。

身体は冷え切ったまま。

今回もYahoo天気予報に騙された。

 

結局、北条大池まで向かい風に吹かれ続けた。

ここから上りに入る。

一定の速度で無理なく走る。

前回のような息苦しさは感じない。

いい感じで上れていると感じた。

 

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少し休憩し、表筑波スカイラインを風返峠へ向かう。

今回は、これまでになく調子がいいと感じた。

いつもより、距離を短く感じたのだ。

この距離感で体調が分かる気がする。

 

上りは平地よりいいな、と思う。

平地と違って、上りは追い風や向かい風の影響がない。

風のような余計な要素がなく、純粋に坂と向かい合える気がする。

平地を走っていて、今日は調子がいいな、と思う。

すると、単に強い追い風に押されていたことが分かってがっかりすることがある。

逆に、向かい風が強いと、せっかくの自転車の楽しみを奪われて損したような気分になる。

坂は、いつでも同じ顔をして迎えてくれる。

なんてことをいっても、坂はしんどいのだけれど…

 

風返峠につくと、気持ちは終わったも同然だ。

あとは下って、りんりんロードを岩瀬駅に向かうだけだ。

この岩瀬駅への帰りも冷たい向かい風にやられっぱなしで、身体が冷え切ってしまった…

ただ、りんりんロード筑波休憩所から見た筑波山はきれいで、つい写真に撮ってしまった。

 


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冷たい向かい風には吹かれたものの、調子よく上れて天気が良かったから、これだけでも良かったというべきだろう。

あと2週間、この調子を維持できるかな?

今回は、走行距離62km、獲得標高567m。

測定尺度

データを統計的に整理する場合、データにはいくつかの種類があることを理解しておく必要がある。

統計ソフトを利用する場合、データの種類により可能な処理が異なることがあるからである。

ある種類のデータに適用できる処理が、別の種類のデータには適用できないことがある。

だから、これを理解していないと、統計ソフトを利用していて、なぜこのデータにこの処理が適用できないのか、なんてことが起こりうる。

 

データを種類分けすることを分類するという。

分類するには、なんらかの基準が必要になる。

この基準のことを、測定尺度または測定水準という。

具体的には、データの表現方法を指す。

分かりやすいのは、数字で表される測定値だろう。

 

温度で例えてみよう。

数字で表す場合、摂氏/華氏□℃と表現する。

この表現方法が尺度だ。

摂氏50℃と表現すれば、この表現を見た誰もが、温度計が50℃を指す温度のことだと理解する。

すなわち、誰に対しても、ある一点を示すことができることから、データとしての信頼性は高い。

 

尺度は、数字で表すことができるものばかりではない。

言葉も尺度になる。

温度を5段階で示してみよう。

1は冷たい、2は少し冷たい、3はぬるい、4は少し熱い、5は熱い。

こんな評価を見たことはないだろうか。

こういう示し方も、尺度になる。

しかし、順序は分かるものの、データとしての信頼度は、数値で表す場合よりも劣る。

冷たいと言われても、何度を指しているのか、わからないからだ。

 

もっと単純化してみよう。

1は熱い、0は熱くない。

もはや、順序もなく、1と0の数をカウントすることしかできない。

データとしての信頼度は最も劣るといえる。

 

このように、データの表し方には種類があることが分かってもらえたと思う。。

実際には、種類ごとに名称があるので、名称とその意味するところを理解することが、統計学を学ぶ第一歩となる。

ご近所さんとの朝のちょっとしたあいさつで、気分がいいと感じた話

ゴミ捨て場で会う近所の人とのちょっとしたあいさつ。

ひとことふたことでも、笑顔であいさつを交わせるというのは、気分がいい。

 

私は毎回決まった時間にゴミを捨てに行く。

近所の人も同じみたいで、ゴミ捨て場で顔を合わせる人が決まってくる。

私の場合、ほぼ毎回、ある年配の女性と会う。

 

私がいま住んでいる場所に引っ越してから初めてゴミを捨てに行った日のこと。

ゴミ捨て場に着くと、その女性もゴミを捨てに来ているところだった。

お互いにあいさつはするものの、どこかぎこちない。

お互い初対面だったので、あいさつはするものの、どこかお互いに警戒心を抱きながら、という感じなのが分かった。

 

その後、顔を合わせるたびに「おはようございます」とあいさつする。

徐々に、ぎこちなさが消えていき、自然な感じで、笑顔であいさつできるようになっていった。

 

そんな日が続いたある日のこと。

ゴミ捨て場でその女性と顔を合わせ、いつものように「おはようございます」とあいさつした。

ごみ袋を置いて去ろうとすると、その女性から次の言葉が続いた。

「今日はいい天気ね」

何気ないひとことだった。

 

私は突然のことで、ちょっとびっくりしてしまった。

はっきりとは覚えていないが、「そうですね」と返すのが精一杯だったような気がする。

でも、そうしたひとことをかけてもらえたことが、嬉しくもあった。

ちょっと怪しい人間から、顔なじみのご近所さんだと認識してもらえるようになった気がしたからだ。

 

それから、毎回顔を合わせるたびに、そうした何気ないひとことを自然に交わせるようになった。

立ち話を続けるわけではない。

その女性がなにかひとこと話しかけてきて、私がひとことを返す。

毎回その繰り返し。

 

このころになって、私はこの地区に馴染めてきたのかな、と思えるようになった。

ご近所さんと笑顔であいさつを自然に交わす。

簡単なようで、なかなかすぐにはできない。

 

そのうち、「おはようございます」のあとのひとことを、こちらから先にかけようと思っているが、なかなか難しい。

いつも先手を取られてしまうのだ。

いまの場所に引っ越してきた当時、ごみ捨て場がきれいなのに驚いた話

いま住んでる場所の前に住んでいたところは、ゴミ捨て場が荒れ放題だった。

それが、いまの場所には、素晴らしくきれいなのだ。

やはり、ゴミ捨て場がきれいなのは、見ていて気持ちいい。

地域住民のマナーを守る姿勢が感じられる。

 

以前は別の地域のアパートに住んでいた。

約10年住んでいたのだが、徐々にゴミ捨て場が荒廃していった。

回収日でもないのにテレビを捨てたり。

日本語が分からない外国人が徐々に増えたことが一因かもしれない。

住人の入れ替わりが激しくなったことも一因かもしれない。

 

最初は皆マナーを守っていて、ゴミ捨て場はきれいだった。

しかし、あるとき、ルールを破る住人が現れた。

すると、徐々にルール違反が増えていったのだ。

 

当然のことながら、ルール違反のゴミは回収してくれない。

すると、ゴミ捨て場にはずっとゴミが置きっぱなしになる。

そこに生ゴミが混じっていると、動物が散らかすようになる。

異臭はするし、そういう景色が視界に入ること自体も、精神衛生上よくない。

 

いま住んでいる場所は、正反対だ。

分別ルールは守られているし、ゴミの未回収は見たことがない。

ゴミ捨て場を見ると、周辺住民の意識の高さがわかる気がした。

 

あと、ルールというものは、関係者全員が守ってこそ、意味をなすことも。

まぁ、世の中には意味のないルールもあるけど…